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世界遺産-カルタゴ遺跡
Site of Carthage
世界遺産登録年度→1979
位置→現在のチュニジアの首都チュニスに隣接 |
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概要
カルタゴは、フェニキア人の殖民都市として建設され貿易で栄え、ローマ帝国を脅かした地中海に位置する古代の都市国家。
カルタゴの歩み
フェニキア人
カルタゴは、紀元前814年頃、セム系のフェニキア人移住者によって建設された。
フェニキア人はカルタゴを拠点にして現在のモロッコ、エジプト、サルデーニャ島、マルタ島、バレアレス諸島、シチリア島、イベリア半島に植民都市を建設した。地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
ローマ人とポエニ戦争
ローマとカルタゴとの間で、地中海世界の覇権を賭けて争われた。
ポエニとは、ラテン語でフェニキア人の意味。紀元前246年のローマ軍によるシチリア島上陸により幕を開ける。
カルタゴ滅亡
BC146年にカルタゴは敗北しローマ人は住民のほとんどを殺すか奴隷にした。ローマ人はカルタゴ全土に塩を蒔いた。土地を作物の種ではなく塩で埋め尽くしたのは不毛の土地にしようとしたためという。そのためカルタゴは1979年にユネスコの世界遺産にも登録されたもののローマ時代の遺跡が中心となっている。
カルタゴ将軍・ハンニバル
ハンニバルはカルタゴの貴族の家に生まれ父とともにスペイン諸部族をまとめて軍隊を養成、将軍に就任。
スペインから大軍を率いてアルプス越えという奇策で、イタリアに攻め込んだ。
当初はハンニバル軍は連戦連勝を重ねたもののローマは決戦を避けて持久戦に持ち込みハンニバル軍はしだに消耗した。
結局紀元前202年の「ザマの戦い」でハンニバル軍は大敗、カルタゴは敗戦国として不利な条件でローマと平和条約を結びハンニバルは将軍職を辞任。
生贄
古代カルタゴでは、子供を神への生贄として捧げる習慣があったとされ、それを裏付けるものとしてカルタゴ人の子供を葬ったとされている墓地がある。
その墓地からは小さな子供の骨が沢山出てきたとか。墓碑に子供の絵が彫られている。 |